システム奮闘記:その68

オリンピック前の北京旅行報告



(2008年4月10日に掲載)
はじめに

  2008年1月12日〜14日までの二泊三日、北京旅行へ行ってきました。
  だが、今回の北京旅行の中にはLinuxネタがないので
「北京ペンギン旅行記」にはならない。

  でも、そこは強引にLinuxやOSSと結びつけたいと思います。
  北東アジアOSS推進フォーラムが日・中・韓の共同で行われている上、
ミラクルリナックス社が日・中・韓共同で、Asianuxを開発しているため
オープンソースの発展には、中国・韓国は欠かせない存在です。

  そこで・・・

  今、経済発展目覚しい熱い中国!

  そして・・・

  ツラの皮もブ厚い中国!

  という事で北京旅行記を書く事にしました。

  私は中国に関する専門家でも何でもない、気楽な旅行者なので
副題として「旅行者の目線で見た北京の今」にしました ♪

私が北京に興味を持ったのは、20年前の中学2年だった。 当時、友人に短波ラジオを勧められた。 そして、貯金をはたいて短波ラジオを購入。 マニアックな雑誌「ラジオライフ」を買って、各国の日本語放送を聞いて 受信報告書を書いて送ると、ベリカードという物がもらえたので ベリカード収集を趣味にしていた。 よく北京放送局の日本語放送を聞いていた。 北京の日常や流行などを聞いて、北京を姿を想像したものだ。 北京旅行の前に、書店で陳真さんの著書を見る。 私が短波ラジオで北京放送局を聞いていた時、北京放送局の ベテランアナウンサーだった陳真さん。 その後、来日され、NHK中国語講座の講師などをされたのは知っていたが 晩年は北京に戻られた事や、既に亡くなっておられたのは知らなかった。 20年の歳月を感じてしまった。
そんなわけで、中学生の時から北京へは行ってみたいと思い続けた。 だが、なかなか行く機会がない。ズルズルと20年の時が流れた。 だが、2007年12月のある日の事、上海旅行の際に、お世話になった 旅行会社のツアーの内容を見て 39,800円は安い! 観光地巡りもできる! これなら夢に見た北京へ行ける。20年間の夢が叶う。 そこで、早速、予約状況を確認すると 往復の飛行機が共に残り4席! なので、急いで申し込んだ。ぎりぎり間に合った (^^;; ようやく、20年間の夢が実現する。そう思うと、鑑真和上が苦労の末、 6度目の正直で来日できた気持ちが、多少、わかる感じだった。 そして旅行代金を支払いに、旅行会社へ向かう。 上海旅行以来、顔見知りになった女性スタッフの方に会う。 スタッフの方が 席は押させておきましたので と言ってくれたので、これで一安心。感謝、感謝 m(--)m 手続きの際、スタッフの方に海外旅行の保険は、どうするか聞かれる。 でも、私の場合は保険に加入しない。なぜなら・・・ ゴールドカード所有者なのらー!! そう、リッチマンを証明する黄金に輝くゴールドカードなのだ。 ゴールドカードの保険があるお陰で、わざわざ保険に入らなくても済む。 さて、私のゴールドカード。 一見、リッチマンなのだが、実は、入会費、年会費無料で、おまけに・・・ 年収審査がないのらー!! つまりリッチマンでなくても持てるゴールドカードなので・・・ ハリボテ・ゴールドカードなのらー! だが、ハリボテとは言えども、立派にゴールドカードなので、 空港のラウンジはタダで使えるし、旅行保険はついている。 旅行代金の支払いは、ゴールドカードを使う。ポイント溜る。景品楽しみ♪ スタッフの方に「北京は寒いので、気をつけてくださいね」と言われた。 私が「寒さ対策で沢山食べて、メタボになった帰ってきます」と言うと スタッフの方は「菅さんなら大丈夫ですよ」だった。 2005年までは信楽焼きのタヌキそっくりの三段腹&高脂血症という メタボな私だったが、今では痩せてしまい、貧相な体型になってしまった。 なので、今ではメタボ・ネタは冗談になる。 だが、メタボ時代の私が「メタボになって帰ってきます」と言えば、 冗談にはならないため、スタッフの方は顔を引きつらせながら 「中国茶を飲んで脂肪を落として」と言ったかもしれない (^^)
年が明けてすぐ、旅行の手続きなどのために旅行会社へ行く。 顔見知りのスタッフの人と会って手続きを行う。 そのスタッフの方は中国語が話せる方だ。 なので、次の会話になった。
スタッフの方との会話の内容
中国行きの準備で中国語を勉強しています
スタッフ 菅さん、中国語をやっていると言ってましたですね。
でも、変な中国語ばかり覚えてしまいますわ。
スタッフ どんな事ですか?


こんなのばかり覚えていますわ

  スタッフの人は大笑い。
  生まれも育ちも関西の私。なので、受けた時は思わず・・・

  フフフ、決まったぜ!

  こんな事を言っているから、いつまで経っても女の子にモテないのだが
とっくの昔に開き直っている私。
  こんなオッサンに恋する女性なんぞいるわけないので、
ミエ張るような無駄な努力なんぞせず、お笑いキャラを突き進む (^^)

  さて、「彼女おらへんから、かわいい子紹介して」という中国語。
  この時は受け狙いで言ったつもりだったが、実は、北京旅行の際に
別の場所で役に立った。その話は後述しています。

本当は言えない「変な中国語」
変な中国語。中国語の音の組合せによっては、
日本では放送禁止用語(?)になってしまいそうな単語だ。

中国人の名前や地名を音読みしたり、日本人の名前を中国読みすると、
日本では放送禁止用語になってしまいそうな物もある。

男性諸君の前では、爆笑ネタになるのだが
女性の前ではセクハラになるので、とても言えない (^^;;


さて中国語の学習。 少しでも言いたい事が言えると、旅行の楽しみは倍増する。 まして現地の人と片言でも話せたら、楽しみは何倍にもなる。 私は、中学生の時、英語嫌いで「鬼畜米英」と叫び、英語そっちのけで 2年間、NHKラジオ中国語講座を聞いていたが、その後、20年間、何もしなかった。 だが、2007年1月の上海旅行以来、20年振りにNHKのラジオ中国語講座を再開。 20年振りの中国語。四声や無気音、有気音や「e」の発音はできる。 当時、覚えた単語を、いくつか思い出したりもする。 しかし、ほとんど忘れているため、ゼロに近い状態から勉強になった。 2007年7月は、大連・旅順のツアーに参加。 上海の時よりも語彙が増えたので、自由時間は、大連の街をぶらぶらしながら 片言の中国語で買い物をしたり、コンビニのオバちゃんと簡単な会話をしたり 食堂でウエイトレスの女の子と筆談をしたりなど、旅の楽しみが増えた。 ちょっとでも会話ができれば、旅が楽しめる。 なので、2007年10月からは、中国語の学習に力を入れるため、 NHKのテレビ中国語講座も始めた。 だが、良い事ばかりではない。30超えると、記憶力が低下するため なかなか覚えられへん (TT) 覚えても、すぐに忘れるため、なかなか頭の中に定着しない。 なかなか覚えられない中国語。でも、すぐに覚えられる単語がある。 例えば、ミニスカートだ。
「ミニスカート」の中国語
発音は「ミニチュン」に近い。
ちなみに、ピンインは「mi ni qun」だ。

  なぜ、これが覚えやすいのか。
  以下の理由があるからだ。

「ミニスカート」の中国語
「ミニ」の音訳の部分を見ると、もう一つの意味が隠れている。
「あなたを惑わす」や「あなたを迷わす」の意味がある。

まさに「あなたを誘惑させるスカート」なのだ。

  うーん、中国人の翻訳のうまさには感心する。

  さて、ミニスカートだが、若い女性が男性を誘惑するため
「あなたを惑わす」という意味だけではない。

  オバハンがミニスカートを履くと、強烈な破壊力のために

  どう危険を回避して良いのか、迷ってしまう!

  という意味にも使える。
  そう考えると「あなたを迷わすスカート」の訳が絶妙だと思う (^^)
  横道それた中国語は、面白いので覚えやすい。


  他にも中国語を見ていくと、日本の漢字と中国の漢字の違いがある。
  代表的な例として「机」という漢字だ。

  携帯電話を中国語で書くと

  手机

  なのだ。
  これを見た時、「なんで手の机が携帯やねん」と思った。
  だが中国語の「机」という漢字には日本語の「机」の意味はない。

  なぜなら・・・

  「機」の簡体字だからなのらー!!

中国では「机」という漢字は・・・
どういうわけか知らないが「機」の簡体字が「机」という字なのだ。
そのため、何も知らないと、混乱してしまう。

「手机」を「手の机」と捉えると意味不明になってしまうが、
「手の機(械)」と捉えると合点がいく。

  安易に中国の漢字と日本の漢字が同じだと思ったら、
混乱してしまう良い例かもしれない。


  「買い物」という中国語。
  これも初めてみる人には驚きだ。

中国では「買い物」は・・・
買い物を中国語で書くと「買東西」となるため、
意味不明の言葉に思える。

中国語を勉強している時、いきなり「買東西」が出てくると
「東西を買うって、どういう意味やねん」という事で混乱しそうになる。

  この漢字を調べてみる事にした。
  すると合点がいく話に辿り着いた。

「買東西」を詳しく見ていく
「東西」には、日本語の漢字の「物」という意味がある。
そのため「買東西」で「買い物」という意味になるという。

一見、意味不明の言葉なのだが、調べてみると歴史がある。
昔、東の市、西の市にも「物」があるという事から
「東西」という言葉に「物」という意味を持たせるようになり
それが現在でも使われているという事だ。

意味不明の言葉に思えるが、起源を調べてみると納得できる上
むやみな暗記と違って面白い。

  語源を調べたり、漢字を調べていくと、納得がいくのだが、
何も知らずに安易に漢字だけみて判断すると、混乱の元だなぁと感じる。

中国語の学習を行う際、日本人ならではの大きな利点がある。 それは日本語の再発見や、語感に敏感になる事だと思う。 実体験を、いくつか紹介します。 中国語の入門書に「会」という漢字は「できる」という意味で書いている。 英語でいうと「can」という助動詞の意味になる。 この時、私は「中国では違った意味で使われているのだなぁ」と思った。 だが、一応、物書き(?)をしている私なので、漢和辞典を取り出し 日本語の意味での「会」を調べてみた。 すると意外な事実を知った。
「会」という漢字について
漢和辞典で調べると日本語にも「できる」の意味があると書いていた。
この時、ホンマかよと思った。

でも、考えてみれば、「会得」という言葉は「can get」なので
「できる」という意味がある事に気づいた。
そういう意味では、日本語の勉強になる。

反対に中日辞典を調べると、中国語の意味にも「会う」の意味があった。


  もう1例紹介します。
  「都」という漢字だ。

  中国語の入門書には「都」は「全て」の副詞の意味で使われると書いている。
  英語でいう「all」という副詞だ。

  日本語では「都市」とか「都会」など、大きな街の事を表す。

  この時も「中国では違う意味なんだなぁ」と思ったが、
やはりヘタレとはいえ、一応、物書き(?)の私。

  漢和辞典で「都」を調べてみた。
  すると日本語にも「全て」の意味があった。

「都」という漢字について
漢和辞典で調べると日本語にも「全て」の意味があると書いていた。

この時、ハッと気づいた。
都会は「全ての人に出会える」から大きな街の意味になった。
都市も「全ての市がある」から大きな街の意味になった。

そう考えると、目から鱗だった。
「都会」という単語は、古来、中国から伝わった単語だという。
もしやと思い、中日辞典を調べると中国語にも「都」には
「大きな街」の意味があると書いていた。

  小・中・高校時代、国語は嫌いだったし、成績が悪かった。

  赤点寸前や赤点ばかりとっていた。

  なので、30過ぎてから国語の面白さに気づいた (^^)


  次に、日本語の中に隠れている中国語の紹介。
  ふと気づいた事だが、普段、何気なく使う日本語の中に、
中国語が隠れている。

日本語の中に隠れている中国語
この単語そのものは中国から伝わった物なのか、
それとも日本で作られた物なのかは、調べていないのでわからない。

ただ、語順に着目すれば面白い。

日本語の文法は「主語+目的語+動詞」の形を取る。
中国語の文法は「主語+動詞+目的語」の形を取る。

この単語を見ると「動詞+目的語」の語順になっている。
青い下線が動詞の部分だ。まさに中国語の文法の形になっている。

何気なく使っている言葉でも、中国語の文法が隠れている事を示す例だ。

  この事に気づいた時は

  まさに目からウロコ!

  だった。


  最後に、日本語の漢字の読み方について。
  漢字の読み方に、訓読みと音読みがある。小学校で習う話だ。
  だが・・・

  音読みにも種類がある事を知らなかった!

  中国語を勉強し始めて以来、日本の漢字との比較のため、
漢和辞典を引くようになってから、音読みに呉音と漢音がある事を知る。

「正」という漢字でも
呉音
「ショウ」と読む。
正直、正月、正午などが呉音の読み方だ。
漢音
「セイ」と読む。
正義、正確、正当などが漢音の読み方だ。

  他にも唐音や慣用音もあるという。

  さて、この違いは何なのか。
  調べてみると、音読み(中国語の音)が日本に伝わった時代の違いなのだ。

呉音と漢音の違い
呉音
3世紀ぐらいに上海辺りにあった呉の国の漢字音。
南方系の中国語の音だ。
漢音
6世紀以降の随・唐の漢字音。
北方系の中国語の音だ。

  現在の中国でも、北京では北京語だが、上海では上海語が話されている。
  (まぁ、上海でも公用語の北京語は問題なく通じるが)
  北京語と上海語は全く別言語なのだ。なので、当時も南方と北方では
同じ漢字でも、読み方(音)は、別になっても不思議ではない。

  その後も調べていくと、お経の読み方まで行き着く。

  仏教伝来の時期が500年代のため、当時、日本に伝わった漢字音が
呉音という事で、呉音を採用する宗派が多いという。浄土宗などではそうだ。
  だが、真言宗では漢音が決まりだという。

  中国語の勉強のお陰で

  お経の読み方の決まりまで知ったのらー!!


  三井寺のホームページの呉音と漢音について
  http://www.shiga-miidera.or.jp/doctrine/be/126.htm


  中国語を勉強したお陰で

  自分が日本語を知らなかった事に気づかされた!

  30過ぎて記憶力の低下や、中国語の学習ばかりする時間もないので
中国語の上達(?)はカタツムリのように遅いが、中国語を勉強する事によって
日本語の勉強になる事は大きな発見だった。


  なかなか覚えられない中国語。
  でも、私には励みになる存在がいる。素敵な女性の存在だ。
  その女性とは、NHKテレビ中国語のアシスタントで登場している

  京劇女優の前田知恵さんなのらー (o)

  素敵な心の恋人・前田知恵さんの笑顔を見ながら、胸をトキめかして
中国語の学習をする。あーなんて、幸せなんだ ← ただのアホ (^^)

  (注意) 
  前田知恵さんがアシスタントを努めたのは2007年度です。

さて、北京旅行の初日。朝、関空へ向けて出発する。 海外旅行の場合、2時間前に旅行会社の受け付けに行くのが原則だ。 だが、色々あって、30分遅刻の、1時間半前に到着した。 30分の遅刻だが、結果的に良い事をもたらす事になった。 だが、その時は知る由もなかった。 旅行会社の受付で係員から衝撃の情報があった。 搭乗予定の飛行機が前日、上海を飛び立たなかったため欠航です。 続けて「午後の便への振り替え予定ですが、詳しい事は中国国際航空の カウンターで聞いてください」だった。 うーん、出鼻を挫かれたと思いつつ、まぁ、自然現象には勝てないので こんな事もあると思って、中国国際航空のカウンターに向かう。 すると長蛇の列だった。そして、気長に待つ事にした。 そろそろ私の番が近づいてきた頃、係員の人から パスポート見せてください。 と言われた。 そして「全日空に振り替えになりましたので、Bカウンターまで行ってください。 あまり時間がありませんので、急いでください。」と言われた。 そして走ってBカウンターまで行き、全日空の手続きを済ませる。 当初、搭乗予定だった飛行機の30分後に出発する便だった。 この便は全日空と中国国際航空の共同運行便なので、 ツアーの参加者は全員、全日空に振り替えられたと思った。 この時は「30分遅れだけど、ツアーは予定通り行われる」と思っていた。
北京まで3時間半の飛行だ。 さて機内食が配られる。
全日空で出される、おつまみ
2007年度は、全日空が中国便周航20周年という事で
パンダの絵が入った、おつまみが配られる。
そして、写真を撮り忘れてしまったが、
パンダをデザインしたシュークリームが機内食で配られる。
2008年3月までのサービスだ。

2007年に大連へ行った時は、往復共に全日空だったため、
同じ図柄の、おつまみが配られた。

  国際線の機内サービスで、ビールなどの酒類はタダで飲めるのだが、
酒に弱い私は、飲むと酔っぱらうため、泣く泣く自主規制する (--;;


  北京上空に近づいてきた。
  窓から外を眺めると、なんと・・・

  川が凍っているやん!

北京上空(飛行機から撮影)
川や池が凍っているのが見えた。
神戸では地球温暖化の影響で、水溜に氷が張る事が
ほとんどなくなった。なので、北京は相当寒いなぁという印象を持った。

(注意)
着陸前の機内では電子機器類の使用はできないが、
私のカメラは、完全手動の一眼レフなので問題なく使える。
離陸時や着陸時には、決してデジカメなどの電子機器を
使わないでくださいね。
日本の航空会社なら航空法で50万円以下の罰金だけでなく
もし、飛行機が墜落したら大変では済まないので (^^;;

  いよいよ着陸だ。20年間の夢が叶う瞬間だ。
  そして、無事、北京に着いた。

私が乗った飛行機(北京首都国際空港)
スターアライアンスが書かれた機体だ。
写真では見えないが「ANA」のロゴも入っている。

  さて、入国手続きのために列に並ぶ。
  私の後ろにロシア人が並んだ。ロシア美人が2人いた。

  ロシア人の会話。ロシア語なんて聞いても、全くわからん。
  だが、会話の中で、中国語が聞こえてきた。

    

  だった。
  恐らく、覚えたての中国語の確認だろう。

  ロシア美人の会話だったので、美人につられた私。オッサン丸出しで
「中国語を勉強しているのですか」と中国語で声をかけてみたかったが、
反対にロシア語で話しかけられても、絶対に対応できないので、
やめておいた (^^;;


  入国手続きの列を待っている間、イタリア人とオジさんと会話する。
  日本に在住経験があるので、片言の日本語も話せる人だった。
  英語と日本語のチャンポンで話す。北京は5回目だという。
  中国へ行くイタリア人。まるで現代版のマルコポーロだ。
  

さて、入国手続きが終了し、出口に行く。 そこで待っていたのは・・・ ガイドさんがおらへん! そう、いくら探してもガイドさんがいないのだ。 もしかして、旅行会社も混乱しているではと思った。 しばらく待てば来るかもしれないと思い、待つ事にした。 20分ぐらい待っていると、近くにいた別の旅行会社のガイドさんが 日本語で声をかけてくれた。 旅行会社からもらった緊急連絡先に電話をしてくれた。 電話をしてくれた別の旅行会社のガイドさん曰く 別の出口で待っていたので、今から迎えに行きます。 なので、ここで待っていてください だった。 そしてしばらく待つ事にした。 待っている間、周囲を見渡すとロシア人観光客が多い。 確かに、ロシアと中国は隣同士なので、行き来があっても おかしくはない。昨年、大連でもロシア人をよく見かけた。 だが、上海ではロシア人を見かけなかっただけに やはりロシアに近い北京や大連の特徴なのかなぁと思ったりした。 私の側を通ったタクシーの客引のオジサンが 小日本! と独り言を言っていた。 「小日本」とは日本や日本人に対する蔑視用語なのだが、 私は、こんな事では何とも思わない。 それに、このオジサンは、政治的な意味合いでの反日感情ではなく、 誰もタクシーに乗ってくれないから「ケチな日本人め」という程度だろう。 本音が垣間見えて面白かった。 約20分ぐらい待った。だがガイドさんは迎えに来ない。 下手に動くと、ミイラ取りのミイラになるが、待つのも疲れてきた。 なので、公衆電話から緊急連絡先に電話をする事にした。 硬貨がないので、側にあった銀行の窓口で両替してもらう。 だが、困った問題が発生。 硬貨が使える公衆電話があらへん! だった。 近くにいた中国人をつかまえて そして、1元硬貨を見せた。 だが「カードがないと使えないよ」と言われた。 そこでテレホンカードを購入した。50元(800円)
北京市内で使えるテレホンカード
このテレホンカードは北京市でしか使えないようだ。
(といっても北京市は四国ぐらいの大きさだが・・・)

日本では不人気のため、姿かたちも消えたICチップ式だった。
公衆電話が硬貨式だと、壊され、硬貨が盗まれる可能性はあるし、
磁気テープなら偽造される可能性があるため、ICチップ式に
なっていると思われる。

しかも、日本のテレホンカードと違って有効期限がある。

  電話をかけると、迎えに来る予定だったガイドさんだった。
  ガイドさんは日本語が話せる中国人だった。日本語で平謝りだった。
  でも、ガイドさんは混乱していた上、そもそもの原因は悪天候なので
ガイドさんを責める気は全くなかった。

  ガイドさんに

  タクシーでホテルまで来てください。

  と言われた。

  おい! 最初に電話をかけてくれた別の会社のガイドさん、何が待っていろだ。
あんたが変な伝言をしてくれたため、私は20分以上待ちぼうけだったぞ。

  もう笑うしかない。

  さて、タクシーでホテルに向かう前に、一息入れるため、
空港内のスターバックスへ入る。

  アメリカンコーヒー中サイズ21元。(336円)

  コーヒーを飲むと気持ちが落ち着く。
  こんな時だからこそ、落ち着かないとダメなのだ。
  「地球の歩き方」を見ながら、自由時間をどう過ごすかを考えた。

  コーヒーを飲み終えてから、タクシー乗り場へ向かう。

タクシー乗り場(北京首都国際空港)

  宿泊先のホテルの名前だが、中国語で覚えていなかったため、
紙に書いてタクシーの運転手に見せる。

  

  だが、運転手のオジサンが首を傾げた。
  幸い「地球の歩き方」の地図にホテルの場所が載っていたので

  

  と言って地図を見せると、運転手のオジサンは、すぐにわかったので、
タクシーに乗ってホテルまで向かう。約1時間かかった。

  空港からホテルまで99元(1584円)
  でも、タクシー代は旅行会社持ちだったので高くても気にならない。

ホテルに着いて、ツアーのガイドさんと会う。 私が置き去りにされた真相がわかった。 全日空に乗れたのは、ツアー参加者22人のうち、私を含めた4人。 だが、ガイドさんに伝えられた情報は、全日空に乗った人は1人だという。 もちろん、現地集合のため、ツアーの参加者同士は、顔を知らない。 該当の1人と、他の2人の方は、出口で偶然出会う事ができたが、 私は会う事ができなかった そして、ガイドさんは、私が北京に着いている事は知らなかったため 北京空港に置き去りにされたわけだった。 ガイドさんからツアーの予定変更の話を聞いた。 参加者全員で22人だが、4つの便に分散されたため、 初日に行う予定だった観光が行えず、自由時間になった。 初日の観光が3日目になり、3日目の自由行動が初日に変更になった。 でも、まだ私は全日空に乗れたお陰で、初日の自由時間が確保できた。 それにしても波乱の幕開けになった。
さて、北京の繁華街の王府井か、西単と呼ばれる北京の若者の街へ 出てみる事にした。 ホテルの前で人力車のオジサンが「王府井まで40元」と言ってきた。 でも、高いので、私は要らないと言って断った。 北京は地下鉄があるが、ホテルから地下鉄の駅まで距離がある。 なので、最寄りの地下鉄の駅(和平門)までタクシーに乗った。 タクシー代10元(160円)
北京の地下鉄(和平門駅)
カメラで露出不足のため、暗い感じになりました (^^;;

北京の地下鉄は、どこまで乗っても同一料金で2元(32円)。
上海の地下鉄の初乗り3元(2007年1月)より安い。

上海の地下鉄と違い、駅舎も古い上、車両も古いのが走っていたりする。
あとでわかった話、北京の地下鉄は1号線と、和平門のある2号線の南側は
1969年10月に開通し、その後、拡張していった。
なので、駅舎が古いのも納得ができる。

  北京地下鉄は、90年以降の路線拡張の際、日本のODAの資金が使われている。

地下鉄から垣間見える「誤った日中友好」
90年以降に拡張された北京の地下鉄は日本のODA・政府開発援助で
建設されている。外務省の北京市地下鉄事業のサイト

一見、日中友好に思えるが、実は、とんでもない話だ。

多額のODAが中国のインフラ増強・国力増強になる。
ただでさえ、外貨準備高が世界一の中国。
有人宇宙飛行にも成功している。

中国の港湾整備や空港整備にもODAが使われているみたいだ。
日本政府が何も考えずに支援するため、中国の国力増強だけでなく
日本国内の産業が中国に奪われ、日本の国力の低下を招く。

そして、中国政府は日本が出したお金でインフラ整備を行い、
浮いた費用を軍事目的等に当てている。
そもそも、中国は1964年以来からの核保有国で、核の脅威がある。
その上、どんどん軍備増強し、台湾海峡の緊張や、周辺諸国への
脅威につながる。

それだけでなく以前から中国は他の発展途上国に支援しているのだ!
どんどん自分の言う事を聞く、子分を作っているのだ。

中国政府の許しがたいのは、日本に対して戦争の話で恫喝し、
資金を出させる行為だ。あまりにも露骨だ。
中国政府や共産党は日中友好なんて全く考えていない。
単に日本の事を金づるにしか思っていない!

だが、中国に媚びへつらうのが日中友好と思っている
日本政府も許しがたい。

納税者の立場として、外務省は害をまき散らす害務省であり、
外務官僚は中国に貢いで、自国を滅ぼす売国奴の集まりだ。
もしかして、官僚や政治家が中国利権に絡んで、売国奴になっている
可能性があると勘ぐりたくなる。

同じ援助なら、日本と中国の双方の利益になる援助をすべきであって
日本が傾き、中国が栄えるような支援(というより朝貢)は
即刻やめるべきだ。今のままでは、とても日中友好とは思えない。

  さて、行き先を「王府井」にしようか、「西単」にしようか迷ったが、
近そうな「西単」にした。

西単界隈
土曜日という事もあって、人で賑わっていた。
さすがは北京の繁華街だと思った。

  周囲を散策していると回転寿司の店を発見。

西単界隈
中を覗いて、寿司ネタの値段を見てみた。
1皿が安い物で6元(96円)だった。
決して、中国人にとって安くはないが、繁盛していた。

私は入らなかったが、帰国後、北京に駐在経験のある人の話では
「シャリがイマイチ」だった。
うーん、北京駐在に日本食が懐かしくなった時以外は
あまりお勧めできそうもない感じだ。

  回転寿司の店を見て思わず

  中国人がマグロを食うから高騰するのら!

  と叫びたくなった。
  日本人が一方的に中国人に「マグロを食うな」というのは、身勝手なのだが、
美味しいマグロを食べたいだけに、そう思いたくなる (^^;;

西単界隈
焼きとうもろこしがあった。大連で食べた、とうもろこしが
甘くて美味しかったので、美味しいと期待して買って食べた。
2.5元(40円)

でも、マズかった (--;;

  若者の街と言われる「西単」
  日本と同じ、女子高生ぐらいの女の子がネイルアートをする場や
若者向けの服があったり、セガなどの日本のゲーム機が置いている
ゲームセンターまであった。ファーストフードの店もある。

  中国語が飛び交っている以外は、大阪の道頓堀と変わらない。

  ブラブラしていると、周囲はすっかり暗くなった。

西単界隈
夜の西単のネオンは綺麗だ。
中国っぽさがないだけに、神戸や大阪の繁華街にいるのと変わらない。


ホテルに戻る。 西単から地下鉄に乗り和平門駅まで出て、そこからタクシーに乗る。 ホテルの名前を中国語で言えるようになったので という。 念のため、ホテルの名前を書いた紙は持っているが、 口頭で伝わったので、紙は不要だった。 女性運転手で、気さくな感じのオバちゃんだった。 私の事を中国人と思ったらしく、中国語で話しかけてきたので、 オバちゃんは「いつ来たの?」と聞いて来たので、 私は「今日、来たよ」と言ったりした。 でも、入門程度の会話しか中国語ができない私なので、 色々、中国語で話しかけられると、わからない。 話しかけられても、わからない場合は と言う。 これは「(聞いて)わからない」という意味で、覚えた方が便利な言葉だ。 オバちゃんも中国語を話して、私の反応を見て笑いながら と言ってきたりして、気さくな感じだった。 中国人のタクシーの運転手は、無言で無愛想な人が結構いると言われるが、 このオバちゃんは別だった。 タクシーを降りた時も、「バイバイ!」と言って、手を振ってくれた。
晩の7時半。 午後2時の飛行機に乗ったツアー参加者の方と合流して、ホテルで晩飯。 午後の便に乗っていた人達から「全日空は混んでいた?」と聞かれ 全日空が空いていた話をすると、午後の便に乗っていた人達から 「空いているのに、なんで、全日空に振り替えてくれへんのや」と ボヤきが聞こえた。 その気持ちは、痛い程、よくわかる。 私自身、過去に空港で7時間待ちぼうけの経験があるからだ。 私を含め4人が全日空に乗れた理由。 あくまで推測だが、ツアー参加者の間では以下の結論が出た。 私を含めた4人は、色々な理由で遅刻してしまった。 そして、中国国際航空のカウンターに並んだ時は、既に最後の方だった。 最初に並んでいた人達は、午後の直行便や、午後の経由便へと 振り替えられていったが、私を含めた4人は、もう振り替える席がないので 全日空に振り替えられたのではないか。 午後の直行便が満杯な上、超過受付(オーバーブッキング)になったため 大連経由に変更する人はビジネスクラスにしますという話まであったという。 午後の直行便に乗れなかった人達は、大連経由と煙台経由になった。 経由便に乗られた方々は、北京到着が夜遅くになったため、 夜の自由時間すらとれなかったという。 中国国際航空の対応の最悪さには、呆れてしまう。 そういう意味で、午前の全日空に乗れた私は幸運だった言える。
晩飯の後、ホテルから天安門まで歩こうと思った。 道を歩いていると、夜の散歩をしている北京の人達を見る。 ペットの犬を連れている人を何人か見た。 ここで思った。 犬がペットとして定着している! 80年代前半までは北京にノラ犬、ノラ猫がいないと言われた。 みんな食べていたからだ。だが、80年代後半からペットとして 犬や猫を飼う人が出てきて、90年代後半にはペットの餌のため 人間の食糧が食べられるという問題から、中国政府はペット税を課したぐらいだ。 そのためか、都会出身の中国の若者は犬や猫はペットと思っている。 食材からペットへの意識変化。短期間なだけに、もの凄い意識の変化だ。
犬肉を食べるのは野蛮ではない。文化なのだ! (^^)
犬肉料理の写真 (2007/7 大連にて撮影)
犬肉のチゲと犬の皮です。肉の味は癖はなく、皮は脂身がなく
あっさりとした感じでした。結構、美味しい。
犬肉には体を温める作用があり、冬に食べるのが最適だと言われる。

犬肉を食べる事は決して野蛮な行為ではない。食文化なのだ。
単に「かわいそうだ」という事で「野蛮な行為」と批判する事自体、
食文化を否定する行為になる。
牛、豚を食べるのと同じと考えるべきだ。

イスラム教徒から見れば、トンカツを食う日本人を
「野蛮で汚れた行為」に映っている。でも、イスラム教徒は日本人を
野蛮とは批判しない。文化の違いを認識しているからだ。

ところで、最近の若い中国人の意識が変わっている。
2007年12月に天津出身の若い中国人女性と話す機会があった。
私が「大連で犬食べたよ。香港で蛇食べたよ」と言うと、
その女性は驚いて「犬食べたの!」とか「へーびー!」と声を上げた。

昔から「中国人は机以外の4つ足の物は食べる」と言われているだけに、
おいおい、どっちが中国人かわからんと思いつつも、
犬や猫が食用からペットになっているのを感じた。

  寒い中、歩く。もちろん、気温は氷点下。
  タクシーを使えば良いかと思われるが、街の距離感と方向感覚を
把握するには、歩くのが一番。

  40分以上歩くと天安門広場が見えてきた。

夜の人民大会堂と人民英雄記念碑
綺麗にライトアップされている。

天安門広場周辺は静まり返った感じだった。
夜は天安門広場には入れない。
周囲を公安警察がウロウロしていた。

  天安門前の道路は北京の幹線道路なので、車の往来が激しいが、
歩道は静まり返った感じだ。
  天安門周辺は、公安がウヨウヨいるから治安の心配はなさそうな感じ。
  といっても、中国の公安は信用できないが・・・。

夜の天安門
天安門の前には、観光客がライトアップを見にきている。
周辺には土産を売るオバちゃん達がいた。

  その後、天安門から徒歩で王府井へ出たが、既に22時を回っていたため、
周囲は閑散としていた。

  それにしても、よく歩いたと思った。
  さすがに疲れたのでタクシーでホテルまで向かった。
  途中、タクシーの中から天安門を見たが、既にライトアップが終わっていた。
  おそらく22時までなんだろうと思った。

  タクシー代は17元(272円)だった。

そしてホテルに戻るとシャワーを浴びる。 何気ないシャワーなのだが、実は北京の水事情が逼迫しているのだ。 北京に水を回すため、北京の水源になっている河北省などでは 取水制限が行われている。 工業用水が使えず、工場が廃業になったり、農業用水がままならないため 作物が育たないなどの問題を抱えている。 砂漠化も進行している。どんどん北京に近づいている。 北京の水確保のために犠牲になっている周辺の人達の不満は大きい。 水だけでなく公害、インフレ、格差、役人の腐敗など 中国国民の政府や共産党への不満は増大化している。 今は「オリンピック成功のため」という口実で、なんとか抑え込んでいる。 表沙汰にはならないが、一部では暴動も起こっている話もあるし、 警官隊や軍隊を出して、武力鎮圧している話もある。
予断を許さないオリンピック後の中国の行方
オリンピックを控える中国。
不満爆発しそうな国民に対して「オリンピック成功」という国威発動で
なんとか抑え込んだりしている。

その一方で、対外的な面から、中国政府のお得意の武力鎮圧は
表向きは控えているのだが、地方や農村では武力弾圧が行われているという。
2008年3月14日、チベットで武力弾圧は、数少ない表沙汰になった例だ。


ところで、オリンピック終了後、「オリンピック」という名の
国威発動がなくなった中国は、どうなるのだろうか。
一挙にパンドラの箱の中身が噴出しかねない懸念がある。

革命や内戦という事態にならなくても、各地の暴動や政情不安から
企業の撤退が相次ぎ、経済的に崩壊の可能性もあり得る。

今後の中国は、厄介な課題を是正して大きく発展するのか、
それとも内部崩壊するのかは、誰にも予測はできない。

  豊かで経済発展を謳歌しているようにみえる大都会・北京。
  しかし、その影には解決困難な課題が山積みになっている現実がある。

1月13日、6時に起床する。 少し足がだるい。毎日、通勤で数キロ歩いている私なのだが、 さすがに前日、歩きすぎたのかも (^^;; ホテルの朝食を食べて7時にロビーに集合する。 そして、バスに乗り込む。 まず最初の観光地は「頤和園」だ。世界遺産の一つだ。
頤和園(東宮門)

  頤和園は、清の時代乾隆帝が前身を作った庭園だ。
  その後、アロー戦争(第2次阿片戦争)で焼失してしまったのだが、
西太后が現在の形に修復したのだ。

頤和園(昆明湖と仏香閣)
池(昆明湖)は、凍っていた。
小高い丘の上の建物が仏香閣だ。

  それにしても頤和園は広大だ。
  全て見るのには時間がかかるので、ツアーでは見所だけを回った。

頤和園の麒麟(キリン)の像
麒麟の像だ。中国の伝説の動物の一種だ。
日本では「キリンビール」の麒麟の絵が有名だ。

  なんだか麒麟は、日本の神社にある狛犬に似ている。
  帰国後に知った話だが、日本の神社・仏閣の狛犬像は、
麒麟像から由来しているという。

頤和園の長廊
長い廊下になっている。
天井や柱には色々な絵が描かれている。

  これだけ広い庭園。修復するにも莫大な費用がかかっている。

  当時、アロー戦争にも敗れ、欧米列強の喰い物にされていた清。
  だが、西太后は自分の欲望を満たす事しか考えていなかったため
なんと海軍費用を流用し、頤和園の修復に使ったのだ。

西太后の評価が分かれる
阿片戦争をキッカケに清が衰退し、欧米列強に喰い物にされていた清。
そんな国が傾いている時に、贅沢三昧に明け暮れていたのだ。
そして、海軍費用を流用して頤和園の修復した西太后。
とんでもない身勝手な女だ。

だが、次の見方もある。
自国の文化財の修復や、文化を守った女という評価だ。
なので、世界遺産の頤和園を見る事ができるというのだ。
実際に、文化的功労者という見方がある。

私は西太后の事を「国を滅ぼし、己の欲求を満たす身勝手な女」
と切り捨てるのだが、別の見方がある事を紹介しておきます。

頤和園(西太后の寝室)

  それにしても北京の冬は寒い。

  バスに乗った時、ガイドさんが「みなさん、食べてください」といって
焼き芋を配ってくれた。
  こんな寒い時に、熱々の焼き芋はありがたい (^^)
  甘くて美味しい焼き芋だった。

次は北京動物園のパンダを見に行く。
北京動物園のパンダ
真っ白ではなく、少し黄ばんだパンダだった。
ガイドさん曰く「あまり体を洗わないので、真っ白ではない」との事。

ちなみに中国語ではパンダの事を「大熊猫」と書く。

  ガイドさん曰く

  以前は、動物の説明書きに
  「美味しい」とか「味」が載っていましたが
  批判があったため、今では載せない事になりました

  さすが中国。机以外の4つ足の物は何でも食べる。
  そして、飛行機以外の翼のついた物も食べる。

  いくら私が、熊、エゾジカ、蜂の子、イナゴ、カンガルー、ダチョウ、蛙、
犬、鳩、蛇などを食べた経験があっても、中国人には及ばない・・・。


  ガイドさん。なかなか面白い人だ。
  動物園に関するガイドさん語録。

  北京には鳩はいません。みんな食べたからです。

  鳩を食べ尽くすのは考えられる。
  鳩は食べた事があるが、濃厚な味は旨い。
  まして何でも食べる中国人なので鳩を食い尽くしても不思議ではない。

  ガイドさんは

  北京にはカラスはいません。なぜでしょう?

  と言ったので、私は

  食べたから!

  と言ったら、ガイドさんは

  違います。日本へ移動したからです。

  うーん、思わず「なんでやねん!」と、ツッコミを入れたくなった (^^)

  それにしても、カラスを食べる話は聞かない。マズイのだろうか?

ツアーでは何店か土産屋へ行く。 そのうちの1店のみ紹介。
ヒスイ等の工芸品の店
こんなのを掘るのは大変凄い技術だと思う。
でも、値段は高い。もちろん買う気はない (^^)

  私は何も買う気がないので

  我只是看看
  見ているだけ

  と言う。

  でも、店員さんの中には、それでも片言の日本語で「奥さんに」とか
「彼女に」とかと言って、しつこく勧めてくる人がいる。
  ふと思った。この中国語が使える!

  そこで

  

  と言ってみる。
  すると、店員さんが笑った。関西のお笑い、中国でも通じる!
  そして、店員さんは「あの人には無理だ」と思って勧めなくなる。


  ツアーでは何件か土産屋に立ち寄った。店員さんに要らないと言っても
「奥さんに」とか「彼女に」と言われる度に、同じ事を言ってみた。

  その言葉の反応は人によって様々だ。
  どう対応して良いのか困惑する店員さんもいた。
  中には関西人のノリを理解できる店員さんもいて

  

  とノリの良い反応をしてくれた人もいた。

  まさか、土産屋で「彼女おらへんから紹介して」という言葉が
役に立つ(?)とは思わなかった。


  ちなみに中国語で「嫁」の事を「老婆」と書く。日本と違うのだ。
  もし、私が中国人に「老婆が欲しい」と言って、中国人が

  ウェディングドレスを着た

  80のバアさんを紹介してくれれば

  まさに日中合作のお笑いの世界になる!

  と思った。

明の十三陵。 13人の明の皇帝や、皇后が眠るお墓だ。 皇帝13人が眠る事から「明の十三陵」と呼ばれる。 ツアーで行ったのは「定陵」と呼ばれる14代皇帝のお墓だ。 地下宮殿で有名だという。
明の十三陵

  さて、ここは地上の建物ではなく、地下宮殿が見所だという。

明の十三陵・地下宮殿の王妃の椅子
王妃の椅子の近くには、皇帝と王妃の棺桶もあった。

  この地下宮殿が出来たのは1600年ぐらいなので、日本で言ったら
秀吉の朝鮮出兵や関が原の合戦時期に相当する。

改めて豊臣秀吉の無謀さを感じた
豊臣秀吉といえば朝鮮出兵がある。
元々は明に戦争を仕掛けるため、朝鮮半島での日本軍の通過の
許可を求めたが、朝鮮側に拒否されたため、朝鮮出兵になった。
無益な戦争を行った秀吉の愚策だ。

だが、仮に朝鮮が日本軍の通過を許可した場合であっても、
とても明に勝てるわけがないと感じる。
万里の長城や明の十三陵の巨大建造物などを見ていると
国力の違いを感じるからだ。秀吉の国際情勢の疎さを物語っている。
秀吉は本気で明を占領できると思ったらしく、明の人を召使いにした時に備え
簡単な中国語を勉強した逸話があるという。

ただ、朝鮮出兵の際、明は朝鮮に援軍を送った際の、明の出費は
バカにならなかったようだ。



明の十三陵・地下宮殿

  特に、きらびやかな感じもなく、冷たい地下宮殿のような感じがした。
  エジプトのピラミッドは、棺や埋葬を、きらびやかにするが、
明の時代は、どうなのだろうか。
  きらびやかに装飾していても、過去に盗窟された可能性や
それとも研究機関に保管されているのか。うーん、わからない。


  ツアーなので、じっくり見ている時間がなかったのが残念だったが
逆に、一人旅だと簡単に行ける場所でないので、ツアーの便利さを感じる。


バスに乗っているとガイドさんが 日本でも有名になりました 偽ディズニーランドです。 と言った。
石景山遊園地の跡
日本でも大きく報道された国営の遊園地で、
偽ドラえもん、偽キティーちゃんがいた。
ミッキーマウスの事を「猫」と言い切る所が
中国人のツラの皮の厚さを象徴しているが、進歩を感じる。
少し前なら、平然と「勝手に使って何が悪いの」と言うからだ。

石景山遊園地のURL
http://www.bs-amusement-park.com/

  日本や欧米は中国に対して、著作権や知的財産の保護を訴えている。
  だが、中国は手強い。特に日本に対しては

  知的財産というなら漢字はどうやねん!

  と開き直っているのだ。
  でも、この図太さは日本は見習うべきかもしれない。
  強者揃いの世界と渡り歩くためには。

さて昼ご飯。行ったのは刀削麺の店だった。
刀削麺の実演様子
撮影角度が悪かったため、実演の様子が上手にとれていない。
決して、助手の女の子に心を奪われたわけではないので (^^;;

  だが、麺を食べるが・・・

  麺や汁の味がしない・・・ (--;;

  ダシを効かせたりするのは、日本だけなのか。
  それにしても、拍子抜けするような味だった。


  食後、併設している土産屋に行った。
  ツアー参加者で、若い4人組の男性と会話。彼らに

  かわいいって、漂亮(piao liang)というんだよ

  と教えた。

  すると、側にいた若い女性店員さんが、「漂亮」を自分の事だと勘違いして、
顔に手を押さえながら、かなり動揺した様子で走り去った。

  オイオイ、イケ面が言うなら動揺するのもわかるが

  こんなオッサン相手に動揺して、どーするねん!

  この時は、なぜ動揺したのか、わからなかったが、帰国した後、
中国に詳しい同僚に話すと「なるほど」という答えが返ってきた。

多分、こういう理由だろう
日本と違い、たくましくないと生きていけない中国。
チャンスがあれば、チャンスを物にしようとする姿勢がある。

中国人から見た日本人は、金持ちだ。
(そもそも海外旅行する事自体が、金持ちのする事なのだ)

女性店員さんは、日本人に「かわいい」と言われた瞬間、
もしかして、自分の事を気に入ってくれれば、
金持ちである日本人と結婚でき、豊かな日本へ行く事ができ、
豊かな生活と、中国に残った家族へ仕送りもできる。
まさにシンデレラのチャンス。人生バラ色。

その事が頭の中を過ったため動揺した可能性が高いと思われる。
そう考えると合点がいく。

日本ではモテない私でも、中国へ行けば「私の財布」に惚れる
中国人の女の子がいてもおかしくないのだ (^^)

  日本では、私が若い女の子に「かわいい」と言ったら、
相手の女性には「オッサン丸出し」と思われる上、
高い確率で「オッサンの戯言」という事で、無視される。

  中国の若い女性だと「シンデレラになれるかも」という期待感を
持たせる発言になるのかもしれない。

  でも、本当の意味で中国人の女の子にモテようと思ったら、
やはり日本と一緒で、女の子達に

  酷!
  かっこいい!!

  と言わせるぐらいのイケメンでないと駄目だろうなぁ (^^;;

万里の長城。いわずと知れた世界遺産だ。 今回のツアーでは、もっとも観光客が多く訪れる「八達嶺」へ行った。 ガイドさん曰く 明るい明の時代に出来たレンガ造りの長城です。 万里の長城。以前は全て秦の始皇帝が造ったものだと思っていた。 だが、最近になって、秦の始皇帝が造った物を、その後、各時代の政権が、 徐々に拡張していった物だと知った。 万里の由来をガイドさんが説明してくれた。 「中国では1里は500mで、長城は全長6000キロ以上で1万里を超えるため、 万里と呼ばれるようになりました」 日本では「1里は4Km」だが、中国では「500m」なので、同じ「里」でも 長さが違うのだなぁと思った。
万里の長城
男坂と呼ばれる坂が急なコースと、女坂と呼ばれる、
緩やかな坂のコースがある。
私は綺麗な方はこっちと勧められた方向へ行ったので
私が行ったのは、男坂なのか、女坂なのか、わからなかったが、
結構、急な坂だったので男坂だと思った。

だが、後で調べると女坂だった。うーん、男坂だと、
どんな坂なのか、想像がつかないなぁ・・・。

  万里の長城の規模の大きさを示す都市伝説がある。
  それは・・・

  万里の長城は月から見える

  という話だ。

実際には、万里の長城は月からは見えない!
日本では有名な都市伝説として「万里の長城は月から見える」だ。
全くのデタラメなのだが、なぜか信じてしまう話なのだ。

中国が古来より規模の大きな国な上、万里の長城自体も
大きい建造物である事から、何の疑いも感じずに信じてしまいそうだ。

  どこにでもいる土産を売っているのオジさん、オバちゃん。
  オバちゃんが

  帽子、帽子!

  と日本語で売りに来る。
  私は買う気はないので

  不要! 不要!
  いらへん!  いらへん!

  と言うが、商魂逞しい中国人のオバちゃん。
  私の行く手を止めてまで、しつこく勧める。

  そこで私は

  

  と言った。

  するとオバちゃんは笑いながら

  不明白!
  わかんなーい!  

  と答えた。ツラの皮が厚い。さすがは中国人だと思いつつ、
こんなオバちゃんのは、人間味を感じ、妙に親しみを感じる。

万里の長城の楽書き
これを見て「どこにでも楽書きする人はおるんやなぁ」と思った。
漢字を見て簡体字だったので、ここ数十年くらいの間の楽書きだ。


  ツアーに同行した現地のカメラマン(カメラウーマン)の女の子がいた。
  ガイドさん曰く「19歳」の女の子だ。本人は否定しているが・・・。

カメラマンの女の子
ツアーのアイドル的な存在になった女の子。
かわいいだけでなく、日本語学習歴が1年とは思えない程、
日本語が上手だった。

  その子に「中国のどこ出身ですか」と聞いてみた。
  するとハルビン出身だという。

  今はアルバイトで北京でカメラマンをしているという。

  そこで私が「上海へは行く気はないの」と聞いてみたら

  私、北京人も上海人も嫌い!

  だった。

  北京人や上海人は地方の人を見下す傾向が強いと言われる。
  なので、地方出身者から見ると北京人や上海人は
「タカビーな奴め」という反発があるようだ。

  おまけに書くと、中国には地域間対立もある。
  そして、北京人と上海人は犬猿の仲とも言われる。
  日本でも「大阪 VS 東京」という構図があるが、比ではないという。

中国政府の中枢を握っているのは、安徽省出身者
タカビーと言われる北京人と上海人。
だが、中国政府の中枢を握っているのは、安徽省出身者だ。
安徽省といえば、北京・上海から見れば、ド田舎なのだが
国家主席の胡錦濤をはじめ、前国家主席の江沢民も安徽省出身。

日経ビジネスのネット版の記事
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20070912/134659/

まぁ、日本の首相や大臣が大阪人や東京人ばかりでないのと同様だ。
ちなみに、改革解放を掲げたは麻婆豆腐の発祥の地の四川省出身だ。

  カメラマンの女の子の携帯が鳴る。お姉さんからだという。
  この時は、何も疑問に思わなかったが、後で考えてみると、
中国は一人っ子政策を行っているため、お姉さんがいるとは思えない。
  (罰金を払えば、別なのだが・・・)
  だが、小数民族の場合は、2人まで認めている。

  もしかして、この女の子は満州族かもしれない。
  漢民族は他の民族を見下している傾向が強いと言われる。
  そのため、北京人や上海人に不満を持っている可能性も高い。

  カメラマンの女の子との何気ない会話だが、中国における地域間対立などが
垣間見る事ができた。


胡同に向かう途中、建設中のオリンピックのメインスタジアムが見えた。
建設中のオリンピックの
メインスタジアム
通称「鳥巣」と呼ばれる国家体育館だ。
まだ、建設途中だったのでオリンピックまでに
間に合うのかなぁと思ったりする。

  ガイドさんが日本人と中国人の考え方の違いを説明。

  日本人は「あと1年しかない」と考える。

  中国人は「まだ1年ある」と考える。

  うーん、国民性の違いを見事に物語っている。

  隣同士の国だが、国民性は全く異なる。
  ただ言える事は、日本人はせっかち過ぎる。(心配性すぎる)
  そして、中国人は、のんびり過ぎる。(楽天的すぎる)

バスでの移動中、ガイドさんは歌を披露してくれた。 その内の1曲は、テレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」だった。 日本だけでなく、中国でも大ヒットになった曲だ。 もしも あなたと逢えずにいたら♪ ツアー参加者みんなで手拍子をした。 以前はテレサ・テンの曲は禁止されていた。 だが、隠れて聞いていた中国人は多かったという。 1987年に解禁になった後、テレサ・テンは大人気となった。 テレサ・テンの芸名が「」なので、 と並べて、こんなジョークまで出た。 それぐらい中国でも人気のある歌手だった。 テレサ・テンは台湾人だった。両親が大陸出身だったので、 中国に対して想いを抱いていたのだ。 天安門か故宮でコンサートを開く夢を抱いていた。 だが、運が悪かった。天安門事件が起こった。 そして、香港で行われた天安門事件に対する抗議の民主化集会に、 テレサが参加したのだ。 そのため、北京でのコンサートが絶望的になったと言われる。 テレサが悪いと書いてしまえば、身も蓋もないが、テレサは家が貧しくて ろくに学校に行けなかった。そのため、民主化集会の意味合いを知らないまま 平和の集会と思って参加してしまったという話のようだ。 (真相はわからないが・・・) 時代に翻弄されたアジアの歌姫・テレサテン。 1995年5月8日、タイのチェンマイで亡くなった。 台湾人だったテレサ。だが、日本でも中国でも愛された歌手だ。 今でも絶大な人気を誇っている。もちろん、私もテレサの歌は好きだ (^^)
胡同(フートン)巡り。 北京の下町なのだが、どんどん再開発の名の下に取り壊しが進んでいる。 だが、一部の地域では残す事が決まっている。
胡同(フートン)
人力車に乗って胡同巡りをする。

  北京には3000ほど胡同があったが、再開発のため、どんどん取り壊している。
  北京の伝統的な街並みが取り壊されているのだ。
  だが、観光名所として、文化財として残すため、保護区域もある。

胡同(フートン)
人力車(?)からの景色を撮影。
結構、速度がある上、揺れるため、迫力は感じる。

  そして胡同に住んでいる人の所へ訪問になった。
  庶民の生活を見れるという。

胡同(フートン)のある家の中
台所の様子だ。鳥や金魚を飼っていたりする。
ペットを飼っているから、庶民の暮らしをしているようで
結構、お金を持っていそうな感じかも。

外は寒いが、部屋の中は暖かかった。

  家の人が飼っている鳥が

    

  と言って来た。

  飼っている鳥に言葉を覚えさせるのは万国共通だ。
  さて、鳥に対して私は、からかってみた。

    

  横で中国人のカメラマンの女の子が笑っていた。
  というより、呆れていたかもしれない (^^;;

胡同(フートン)のある家のご主人
訪問した家のご主人。モンゴル族だという。
見た目では漢民族なのか満州族なのかモンゴル族かはわからない。


胡同(フートン)
路地には洗濯物が干してあった。
洗濯物を外に干す習慣が北京にはないとガイドさんは言っていたが、
ここでは干していた。

でも、洗濯物を干している風景は見ていない。

  上海では洗濯物は外に干している。
  私自身、上海の下町で洗濯物を干しているのを見た。
  上海では湿度が高いため、外に干さないと乾かないからだ。
  だが、北京では乾燥しているため、外には干す必要がないというのだ。

  ガイドさん曰く

  上海では洗濯物を外に干している。
  服、ズボン、靴下、パンツ。

  そしてパンツは盗まれる。

  うーん、中国にも下着泥棒がおるのかよと思った。


晩は、お楽しみ北京ダックだ。 これを食べないと、北京に来た気がしない!
北京ダック
1匹の北京ダックを切っている様子。
見るからに美味しそうな感じがする。

  北京ダックの準備が完了し、テーブルに運ばれる。

北京ダック
北京ダックを、ネギ、キュウリ、味噌と一緒に、
小麦の皮に巻いて食べる。クレープみたいな感じだ。

日本では北京ダックは皮のみ食べるが、中国では肉も食べるし、
骨などのガラをダシにして、スープにする。
中国人(北京の人)の知り合いに「北京ダックのスープはまずい」
と言われたが、ここのスープは、うまかった。

  さて、北京ダックを食べてみると・・・

  旨いのらー!!

  脂が乗っていて美味しい。

  北京へ行く前、あるテレビ番組で北京ダックの事をやっていた。
  フォワグラは、ガチョウに食べ物を押し込んで太らせる。
  北京ダックも、食べ物を押し込んで太らせる。
  なので、脂ギトギトになるのが、よくわかる。


  ビール飲み放題だったが、一口しか飲まなかった私。
  夜の街を散策したいため、酒に弱い私は、酔うわけにいかない。
  酔ったため警戒心がなくなり、スリに遭う危険性が増したりする。

  知らない土地では、気持ち良く酔う事ができないのが残念だ。

北京ダックを食べた後、バスに乗って移動。 夜はオプショナルツアーとして雑技団とマッサージがあった。 しかし、上海で雑技団を見た私。それにマッサージは興味がない。 私以外の人はオプショナルツアーに参加だった。 なので、夜の街をブラブラしたい私は、ガイドさんに頼んで、 地下鉄の駅の近くでバスから降ろしてもらった。 建国門駅の近くだった。
地下鉄・建国門駅付近の夜景
綺麗な光の虹だったので撮影しました。
北京の繁栄を映し出している感じがした。

  地下鉄に乗って北京の繁華街「王府井」へ出る事にした。
  なにぜ前日に王府井に行った時、22時を回っていたので、
店が閉まっていたからだ。


王府井の新天地のビルの中
ブランドショップや、吉野屋、スターバックスなどの
外資系のファーストフードの店などが入っている。

北京人の平均月収が3300元(52800円:2006年)と言われている。
吉野屋の牛丼が13元(208円)なので、日本のようにお小遣いを節約する
おとーさんの気分で気軽に食べれる価格ではない。

インド人がクレープ(?)を焼いている店を発見。
国境紛争などで敵対していた中国とインドだが、
最近の接近ぶりが王府井での垣間見る事ができた。

  そして外資系のブランドショップなどを見ると、中国が抱える問題点の
貧富の格差の激しさを肌で感じる。
  数の多さで、見かけ上、豊かに見える中国。
  でも、そんな豊かさを謳歌している中国人は、割合的には小数なのだ。

所得別人口の割合
キチンとした統計を元にしたわけではないため、正確さには欠ける。
金持ちは5000万人かもしれないが、だいたい、こんな分布と思えば
当たらずとも、遠からずだ。

  さて、ブランドショップだけでなく、電荷製品も飛ぶように売れる中国。
  北京の月の平均所得が3300元(52800円:2006年)なので、その所得で
どうやって冷蔵庫や電子レンジが買えるのか不思議に思える。

  だが、所得を下げている人達がいる。
  民工と呼ばれる人達で、地方の農村からの出稼ぎ労働者だ。
  彼らは最低賃金の700元くらいで働いている。

  もし、北京の人口の3割が民工と仮定したら、次の事が成り立つ。

意外に所得が多いかも
もし、北京の人口の3割が民工と仮定したら、上の計算式より
残りの人達の所得が約4400元(70400円)になる。

中国の場合、夫婦共働きが普通なので、一家の所得は倍の
8800元(14800円)になる。
日本よりも生活費が安いので、意外と貯金が貯まると思われる。

あとは、アルバイトなどで稼いでいる可能性は高い。
実態を調査したわけでないので、推測の域を超えないが、

色々、想像してみると、平均所得の数値では見えてこない物が
存在していると思ったりする。

  そして、中国は国内格差が非常に大きい。
  地域別の平均所得の違いを図にしてみた。

中国の地域別の所得(2006年度)
北京と四川では倍ぐらい違う。
だが、農村へ行けば、年収が3000元や4000元という所も多く存在する。
国内格差が10倍もあるのだ。

民工と呼ばれる農村からの出稼ぎ労働者が、北京や上海で
最低賃金の700元ぐらいでも働くのは、田舎に職がない上、
最低賃金であっても、田舎に仕送りすれば、充分なお金になるからだ。

私は二泊三日の旅行で500元ぐらい使ったが、中国の農村では
1ヶ月以上の所得になってしまう大金なのだ。

ちなみに、中国製品が安い理由は、安い労働力の民工達のお陰だ。
彼らが低賃金で働くため、人件費が安い分、安い製品が
世界に供給される仕組みになっている。

この格差は中国社会における不安定要因になっている事は
紛れもない事実なのだが。


  さて、新天地のビルの中をブラブラしていると、お茶屋さんが見えた。

  お土産のお茶でも買おうかなぁと思ったので、立ち寄った。

新天地のビルの中のお茶屋さん

  お茶を見ていると店員さんに

  

  と聞かれたので、喜んで

  

  と言って、試飲させてもらう。旨い。
  どんなお茶があるのかなぁと思い、見る事にした。

  店員さんには

  我是日本人。我会念中国字。
  日本人だから漢字は読める

  と伝えた。

  中国語の説明を眺めていると店員さんが日本語の説明を
持ってきてくれた。

  店員さんの中国語が聞き取れなかった時は、日本人の特権がある。

    

  と言えば、紙に書いてくれる。筆談で意思疎通は可能だ。
  もちろん、完璧ではないが、漢字文化圏ならではの意思疎通法だ。

  店員さんに

  

  すると店員さんが

  

  と言った 。
  すっかり打ち解けた感じだった。

  烏龍茶、玉露を買う。
  帰り際、店員さんに次の事を聞かれた。  

  

  この質問は、私にとっては答えづらい・・・。

  普段から、政治面でボロカスに中国政府や共産党の事を批判している私。
  なので、日本人に同じ質問をされた場合は「こんな国は嫌い」と答える。

  だが、一般の中国人には罪はない。
  それに「あんたの国は最悪だ」というのも失礼な話になる。

  政治とは切り分けて

  一般国民同士は友好を深めるべきだと思う。

  そのため、ここはウソも方便という事で

  

  と答える。
  すると店員さんは、えらい喜んでくれた。

  そして

  

  と聞かれた。
  でも、次回、いつ中国へ行くのかは、わからないので

  我不知道
  わからない

  と答える。
  店員さんがガッカリした表情になったので、

  我想再来中国!
  また中国へ来たい!

  と答える。これはウソではなく本当だ。
  中国には人一倍関心があるからだ。

  すると店員さんは喜んで

  

  と言ってくれた。

  まさに一般人同士の日中友好だ。

個人レベルと民族・国家とは別物だ
私には中国人の友人や知人がいる。みんな良い人だ。
個人レベルでは、日本人と同様、良い人、悪い人がいる。

だが、民族や国家という集団になると、
民族としての醜い部分が見えたりする。
そして、民族同士が自分達の利益のために争う事も出てくる。

そのため、私は漢民族の中華思想は嫌っている上、
国家としての中国に対して、ボロカスに批判している。

個人レベルと民族・国家とを混同してしまっては、日中友好はできない。
そんなわけで、私は中国政府や共産党の事は「極悪非道」と
批判しつつも、個人レベルの中国人とは友好を深める (^^)


  さて、お茶屋さんにいる時、中国人の若い2人の女の子が店員さんに

  小姐!

  と呼んでいた。

  「小姐」は中国語の入門書には、女性の対する敬称「〜さん」や、
女性を呼ぶ時に使う言葉なのだが、注意が必要な言葉でもある。

  地域によっては、水商売の女性を指す言葉だったりする。
  なので、安易に女性に対して使うと、大変失礼な場合もある。

  どの地域では使っても良く、どの地域では駄目なのか。
  実は中国人でさえ混乱しているのが現状なのだ。

  北京出身の友人は「女性には小姐を使う」と言っているし、
お茶屋さんの会話でも「小姐」が聞こえてきたから、北京では大丈夫だ。


  ちなみに男性の場合は「先生」が敬称「〜さん」になる。
  そう男性諸君は中国では

  先生なのらー!!

  でも、別に自慢にもならないし、うれしくも何ともない。

  先生と呼ばれる政治家を見て

  何がうれしいねん。アホちゃう!

  と思っている私には、学校の教師や医者の敬称で良いと思う。

  ちなみに学生時代、アルバイトで家庭教師をしていたのだが、
その時は「先生」と呼ばれた。あまりしっくりとこなかった。

さて、新天地のビルを出て散策した後、土産屋に入る。 店の女の子達が、やたら「何が欲しいのですか」と聞いてくる。 胡同(フートン)の絵柄のトランプを発見。欲しいと思った。 楽しみの1つが値段交渉だ。 店員の女の子が と言ってきた。 何も知らなければ、言い値で買っていたと思うのだが、 昨年、上海でトランプを買った時は10元ぐらいだった記憶があった。 なので次のように切り返す。 店の女の子は「No」と言った。私が中国人でない事がバレている (^^;; 電卓を持ち出して、18元と打ってきた。 でも、私は同じように と続けた。 女の子が電卓を私に渡した。そして手で「高く、高く」と合図をした。 そこで私は と言った。 女の子は嫌そうな顔をしながらも、「しゃーない」で売ってくれた。 でも、売ってくれるのは、利益が出ている証拠。 もしかしたら、12、3元ぐらいで買えたかもしれないが、 少しボラれているぐらいが良いかもしれない。 他にも物を勧めてくるが、ここはキッパリ 不要、不要! と言って断る。 意志表示をハッキリさせるのが大事なのだ。
夜、北京の繁華街「王府井」を歩いていると、怪しいお姉さんが声をかけてくる。 よくある「マッサージいかが」の勧誘だ。 もちろん、怪しいマッサージの場所では、裏には恐い兄ちゃんがいたり、 下手をすれば公安にやれられるので、勧誘には乗らない。 公安に捕まったら帰国できないかもしれないのだ。 (風俗と公安がグルになっているから、余計にタチが悪い) おねーさんと英語、中国語、日本語のチャンポンの会話を載せました。
おねーさんとの会話の内容
おねーさん Do you speak English ?
A little
おねーさん Do you want to massage ?
不要
(いらへん)
おねーさん Do you want to sex ?
不要
I recommand that you talk to another person.
おねーさん Are you Japanese , Korean ?
You guess.
おねーさん You are Japanese !
Yes , I am Japanese
おねーさん マッサージいかが。
かわいい子いるよ

(あんた、かわいい!)
おねーさん ・・・ (少し困惑気味)
おねーさん Do you want to sex ?
one thousand yuen
安い、安い。
I don't want ! It's expensive!
You speak English fluently.
おねーさん I speak little.
Do you want to massage?
不要
Why do you talk to me ?
おねーさん I don't know !
かわいい子いるよ
不要
I recommand that you talk to another person.

  悪ノリして、おねーさんに対してセクハラ発言連発をしてみたかったのだが、
何かあるとマズイので、悪ノリはしなかった。

  そして、おねーさんは諦めた。


  何気ない、客引のおねーさんとのやりとりなのだが、後々、よく考えると
中国社会の抱える問題が潜んでいるようにも思えた。

  客引のおねーさんが英語が話せる事だ。
  自力で学習した可能性もあるのだが、中卒が当り前の中国で、
英語が話せる人はそれなりの学歴の人だ。

  そんな人が風俗の客引をやっているのだ。
  つまり2つの原因が考えられる。

  真面目に働くより客引の方が実入りが良い

  もしくは

  就職難の状態が日本よりも酷いのだ

  テレビなどで知ってはいたが、中国の就職難は酷い状態だ。
  大卒の25%は、就職できないという事態に陥っている。


  客引ではないが、似たような経験は、上海でも大連でもあった。

  上海、大連の夜の繁華街を歩いていると、普通の身なりの人が英語で
「すみません。お金がなくて困っています。助けてください。」だった。

  大連では「大連の物価が高くて何も買えません」だった。
  多分、地方出身者だろうと思われる。

  だが、私一人の力ではどうする事もできない。
  10元を渡して「これで何か食べてくれ」と言うぐらいしかできない。

  彼らが食うに困って犯罪に手を染めたり、裏社会に入らない事だけを
祈るしかない。中国が抱える問題を上海、大連、北京で目の当りにした。

王府井からホテルに戻る際、途中まで地下鉄を使う。 地下鉄に乗った時、欧米人らしき2人に英語で声をかけられる。 地下鉄の乗ってけど、今、どこを走っているのかが、わからなくなったという。 路線図を使って説明する。 欧米人といっても、どこの国の人かわからないので Where are you from ? と聞いてみた。 するとイタリア人と答えた。 初日の入国審査の所でもイタリア人と話をしたのだが、 北京市内でもイタリア人と話すとは思わなかった。 現在版のマルコポーロが北京には沢山いると感じがした。 私が以前イタリアに旅行し、ローマ、フィレンツェ等へ行った話をしたら 「俺、フィレンツェへ行った事がない」と言われた。 どうやら私の事を現地の中国人だと思っている。 見かけでは、日本人と中国人の違いなんて、わかるわけがない。 そこで「私、日本人だよ」と伝える。 観光で北京に来ている話をしたら、イタリア人に 奥さんは? と聞かれた。 私は34歳のオッサンなので、結婚していても、おかしくない年齢だ。 そこで英語版の「女の子紹介してちょうだい!」という事で I don't get married . So please introduce me a good girl! と言う。するとイタリア人が「俺が紹介して欲しい!」と言い出した。 なんてノリの良いイタリア人なんだと思いながら、3人で笑う。 そして、私が下車するため、イタリア人と別れた。 もしかして、彼ら現代版マルコポーロはイタリアへ帰ると ジパングには黄金ではなく 彼女ができないモテない君がいる! と伝えるのだろうか。 そんな東方見聞録が出てたら笑ってしまうが、まぁ、そんな事はないだろう。 ふと思った。実際のマルコポーロが元に滞在し、フビライに仕えている間、 日本人と出会った可能性はあるのだろうか。 蒙古襲来の時期と重なる。でも、日本と元との交易はしていた。 交易といえば、九州の武士団の松浦党(まつらとう)が挙げられる。 松浦党と接触していた可能性はあり得る。 それから、700年の時を超えて、日本人の私とイタリア人が北京で出会う。 別に、感慨深い物はないが (^_-)☆ 日本語と英語と中国語が飛び交う旅行になった。 2007年1月の上海、2007年7月の大連では中国人以外の人と話す機会がなかった。 だが、今回はイタリア人と話している。 ふと思う。 北京は、街全体と外国人が不思議に溶けこむ感じの街だ。 世界各国から人が集まる。イタリア人、ロシア人。日本人、インド人。 外国人が不思議に溶けこむだけに、国際都市という感じがした。
寝る前に、ホテルのモーニングコールを頼む。 その時、中国語で少し往生した。その話を紹介します。 今回の旅では、できる限り、英語に頼らず、中国語を使おうと思った。 そこで「Morning call please」と言いながら、時間を聞かれたら中国語で 六点半 6時半 と言った。 すると中国語で話しかけて来たので、慌てて英語に切り替えた。 そこで英語で Six thirty O'clock. と言ったのだが、フロントの人は You say Six O'clock group. だった。 私は何の事だか、わからなかった。 後で考えてみたらフロントの人は「六点半」と「六点班」と思ったらしい。 「半」と「班」は四声の違いはあるが、発音は同じ。 うーん、いくら私が四声を間違えていたとしても、フロントは 「6時のグループ」と思ったりするかなぁ。謎だ・・・ (^^;;
1月14日。最終日。6時半に起床 最終日の最初の観光地は「天壇公園」だ。これも世界遺産だ。 天壇公園では、ジイさん、バアさんが太極拳やダンスをしている。 この日の最低気温は-9°で寒かった。
太極拳をしているバーちゃん達
観光客慣れしているせいか、カメラを向けても
表情を変えずにいる。

  ガイドさんから現実的な話が出た。
  中国の医療費は高いため、庶民は病院へ行けない。
  そのため、日頃から健康を維持する必要があるというのだ。

  よく考えれば、健康維持と太極拳は切っても切れないものだ。

  昔は医療が発達していなかったので、健康維持のため太極拳。
  1966年〜76年の文革の嵐の時代は、医療費は無料。
  でも、医療器具や薬がなかった。なので、健康のため太極拳。

  今は、昔に比べると医療設備や医薬品は良くなっている。
  (ニセ医者、インチキ薬が横行しているが・・・)
  だが、医療費は高騰しているため、病院へ行かなくても済むように太極拳。

  地獄の沙汰も金次第!

  何気ない朝の風景だが、凄く現実的な物を感じた。


寒い中、トランプや将棋をしている人達
気温がマイナスの中、外でトランプや将棋をしている。
動いていても寒いのに、じっとしながら遊んでいるなぁと思った。

  寒い中、トランプなどをしている光景を見て、ツアーの参加者の方と
口を揃えて「なんで、わざわざ外でするんや。寒くないのかいな」だった。

天壇公園の祈念堂
明の時代に皇帝が五穀豊饒を祈願した建物だ。
現存する中国最大の祭祀建造物と言われる。


天壇公園(龍の絵柄)
龍の絵柄がある。龍の足の数に注目。5本ある。
身分によって、龍を使う際に、龍の足の数が決められている。
5本は皇帝、4本は貴族。一般庶民は3本であり、
これは厳格に守られた。貴族や庶民が5本足の龍を使った時には
皇帝への反逆と見なされ処刑されたのだ。


天壇公園(鳳凰の絵柄)
龍、麒麟と同様、伝説の生き物だ。
中国の歴史的な建造物には、鳳凰の絵柄や彫刻が結構ある。


次に天安門と故宮。故宮も世界遺産だ。
人民大会堂

天安門広場の人民英雄記念碑

  空はどんよりしている。大気汚染の状態の酷さを感じる。
  こんな所でオリンピックをやったら、選手にとって悪条件だけでなく
マラソン選手がバタバタと倒れるのでと思ったりする。

  話によれば、中国政府や共産党の幹部達も「きれいな空気が吸いたい」
という事で、大気汚染対策を行う必要性を感じているようだが、
あまり環境対策は進んでいない。

天安門と天安門広場

  ガイドさんが

  ここに戦車がやってきました。

  と言った。

  実際に戦車が入って来たのだ。

  1989年6月4日の天安門事件だ!

  民主化を求める学生が天安門広場に座り込みをしていた所に
いきなり戦車が押し寄せ、武力弾圧を行ったのだ。

  当時、世界を駆け巡った天安門事件の映像を鮮明に覚えている。

  天安門だけでなく、地方都市の学生デモなども武力で鎮圧。
  少なくとも1万人の学生・市民が犠牲になっていると言われる。

天安門

  実は天安門事件は、もう1つある。
  1976年に起こっているのだ。第一次・天安門事件とも言われる。

  第一次・天安門事件とは周恩来が死んだ際、打倒・四人組のデモが起こり、
それを鎮圧するための事件だ。

  打倒・四人組。
  周恩来によって、2度目の失脚から蘇ったが
周恩来を後ろ盾として四人組と戦っていた。
  だが、周恩来の死去で、周恩来の後ろ盾がなくなった。
  江青達は、天安門事件を口実に、を事件の首謀者とし、
を軟禁。3度目の失脚となった。

天安門の毛沢東の肖像
中国建国の父とも呼ばれる毛沢東。
1949年の建国の際に引退してれば、英雄で終わったと思う。

だが、中国建国後も権力に執着した上、愚行の連続で
中国や、何億もの中国人民を暗黒に陥れた極悪人だ。
15年でイギリスを追い越せという妄想を抱き、
大躍進政策を強引に進めるが失敗し、2000万人を餓死させた。
文化大革命で4000万人以上を粛正した恐怖の独裁者だ。
国父・孫文の三民主義を理解できなかった愚か者だ。

ただ、現在でも毛沢東の批判は公式の場では
タブーになっていたりする。

  私は、同じツアーの参加で若い男性の方に毛沢東の事を

  あれはバイアグラ要らずのエロジジイ!

  と言った。

  そうなのだ。毛沢東は、わかっているだけで子供が9人いる。
  精力絶倫ぶりは凄く、80超えても現役だったという話だ。

  毛沢東は、己の性欲を満たすため生活秘書との不適切な関係などがあり、
それを江青(毛沢東の奥さん)の知る所となった。
  文化大革命で、江青がキチガイぶりを発揮できた背景には、
一説には、毛沢東が色々な女性との不適切な関係を持っていたという弱みを
江青は握っていたからと言われている。

  ちなみに「キチガイ」は放送禁止用語のようだが、狂人女・江青対して
使う分には全く問題はないだろう。


  私の「バイアグラ要らずのエロジジイ」発言に対して、若い男性の方から

  毛沢東に負けてたら駄目!

  と励まされた。
  そういう意味では毛沢東は偉大だ。

故宮の中に入る。これも世界遺産だ。 元の皇帝・フビライがこの地に宮殿を建設したのは始まりで、 明の時代に改修され、清の時代も使い続けた歴史がある。
故宮(太和門)

  門からしてデカい。中国の規模の大きさを感じる。

故宮(太和殿)
2008年1月現在では工事中だったので、全体が見れず残念。

  ガイドさんが

  ラストエンペラーも座った椅子です

  と言った。

故宮(皇帝の椅子)

  ラストエンペラー。清王朝最後の皇帝「愛新覚羅溥儀」を指す。
  「ラストエンペラー」という映画で有名になった皇帝だ。

  清が滅んだ後、日本の関東軍が、愛新覚羅溥儀を皇帝として満州国を建国。
事実上、関東軍の傀儡政権の国家だ。
  だが、1945年、太平洋戦争で日本は敗戦。
  同時に満州国は崩壊。清王朝は完全に消えてしまった。

  溥儀は旧ソ連に抑留された後、中国で投獄生活を経て釈放され、
植物園の職員として生涯を終えた人だ。
  溥儀には子供がいない。なので、中国には清王朝の血を引く者はいない。


  だが、清王朝の血は絶えていない。

  清王朝の血を引く人は日本におられる。兵庫県西宮市におられるのだ。
  ラストエンペラーの弟・愛新覚羅溥傑の次女・福永(こせい)さんだ。

  愛新覚羅溥傑と嵯峨家の令嬢の嵯峨浩さんが結婚。政略結婚だった。
  といっても、二人は愛し合いった仲睦まじい夫婦になった。
  戦後、日本に亡命にしようとした溥儀・溥傑だがソ連に見つかり、ソ連に抑留。
  その後、中国に引き渡され、収容所生活を強いられる。

  浩さんとさんは、国民党や共産党の捕虜になりながらも、
上海で救出され、日本に帰国した。

  溥傑と浩さんはバラバラになってしまった。
  中国政府が拘束中の溥傑に「政略結婚だから離婚するように」と迫ったが
溥傑は頑に拒んだのだ。

  そして、日本にいた浩さんも夫・溥傑を信じた。

  昭和35年に溥傑が釈放され、周恩来の計らいで、溥傑と浩さんが再会。
  周恩来が動いた背景には、長女の慧生さんが周恩来に「父に会いたい」と
手紙を出したからだった。だが、慧生さんは父・溥傑との再会する事なく
昭和32年に亡くなっている。表向きは無理心中と言われているが、
真相は謎のままだ。

  浩さんは北京に渡るが、さんは戦後の中国での体験から、
日本に残る事になったという。

  浩さんは1987年、溥傑は1994年に亡くなっている。
  二人の遺骨と、彗生さんの遺骨は、下関にある愛新覚羅神社に祀られている。

  ラストエンペラーの溥儀には子供がいなかったため、清王朝の血を引くのは
さんだ。
  さんには、お子さんが5人おられるため、
清王朝の血は、間違いなく日本で受け継がれるだろう。

  溥傑と浩さんの夫婦愛のドラマが2004年に放送され、DVDにもなっている。
そのドラマの名前は「流転の王妃・最後の皇弟」だ。
  なかなか良いドラマなので、お勧めします♪


故宮

  故宮内でトイレ休憩。
  そしてガイドさんが

  17人います。全員揃いましたので出発します

  と言い出した。合計19人だったので、みんなで

  まだ、揃ってないよ!

  と突っ込みを入れる。

  そして私は

  チャープト、チャープト!

  と突っ込みを入れる。ガイドさんは笑っていた。

意外と通じたカナカナ中国語
「チャープト」は「差不多」でピンインは「cha bu duo」だ。
私自身、ある日本人から教えてもらった言葉で、耳で覚えた。
なので、漢字やピンインは知らなかったが、カタカナ発音の
「チャープト」で問題なく通じた。

ちなみに「差不多」とは便利な言葉で、「もうちょっと」とか
「たいした事ないよ」とか「まぁまぁ」などの広い意味で使われる。

便利なようで不便な言葉なので、ある日本人から教えられたのは、
タクシーの運転手に「あと何分ぐらいで着きますか」と言って
返事が「差不多」(もうちょっと)と言われる事があるが、
あまり信用してはいけないという事だ。

故宮(出口)
故宮博物院と書かれている。
でも、素晴らしい宝物は蒋介石が台湾へ持っていったため、
北京には大した物は置いていない。
本当の意味で宝物を見たい人は台湾の故宮博物院へ
行かれるのをお勧めします。

  ツアーなので、駆け足での見学になった。
  今度、北京へ行く時は、じっくり見ようと思った。

故宮を出て、バスの停車している場所に向かう途中、北京の街中を歩く。
胡同の新しい姿
胡同の雰囲気を守りながら、建物を綺麗にして、
カフェや店にするのが流行っている。

こんなカフェでのんびり過ごしてみたいと思ったが、
今回は、そんな時間がなかったのが残念だった。

  次回、北京へ行く事があれば、胡同のカフェでのんびりしたい。
  ここで妄想につっ走る。どうせなら京劇女優の

  前田知恵さんと一緒に行きたいのらー!! (o)

  完全に、前田知恵さんにゾッコンの私。
  やはり心の恋人がいるのが良いのだ!

北京市の中心街。日本では成人の日だったが、中国では平日。 うわさには聞いていたが、本当に道路が混んでいた。
慢性化している渋滞
乗っていたバスから撮影。
幸い、この渋滞につかまった時間が短くて良かったが、
道路が広いのに車の量が多いため、渋滞が起こっている。
それにしても車の数はハンパじゃない。

  中国の交通に関する名物といえば、交通ルールを守らない事だ。
  でも、北京の場合、上海、大連と比べるとマシなのだ。
  上海、大連で横断歩道を渡るのは、命懸けなのだ。

  ガイドさんが

  中国では交通事故で毎日300人死んでいます。

  と言った。
  多いなぁと思ったが、冷静に考えると、少ないのではないか。

  日本では年間1万人が交通事故で亡くなっている。

  1日に換算すると27人になる。

  中国の人口は日本の10倍なので、単純に計算すると、27×10=270なので、

  あまり日本と事故死の割合が変わらない!

  なのだ。

  もちろん、300人は表に出てくる公式発表であって、実際は倍の600人や
1000人を超えているかもしれない。

  だが、仮に1日の交通事故の死者が1000人であっても、
全く交通ルールを守らない事を考えると、意外に少ない数字に思える。
  実際、上海や大連での横断歩道は恐かっただけに、余計にそう思える。

  歩行者も車も平気で信号無視する無秩序な状態なのだが、もしかしたら、
そこには日本人には理解できない秩序が存在し、予想以上に
事故が少ないのかもしれない。

バスの車窓からトロリーバスのターミナルを見た。
トロリーバスのターミナル
排気ガスをまき散らす中国だが、ここでは環境対策(?)。
日本よりも進んでいる一面があった。

  日本ではトロリーバスを見ない。
  ヨーロッパでもトロリーバスはあるが、中国で見るとは思わなかった。

  中国政府は環境問題に対して開き直っていて「排出権を売って稼ぐぞ」と
意気込んでいる。
  日本人には信じられない神経だが、この図太さは見習って会得しないと
手強い中国とは渡り合えないと思ったりする。

さて昼ご飯。 北京といえば、北京ダック以外にも火鍋がある。
火鍋
鍋は2種類のダシが入っている。
片方には羊肉、片方は牛肉を入れて食べる。
具には、春雨、チンゲン菜などの野菜を入れたりする。

大抵は辛いスープなのだが、この時は、辛くないスープだった。
多分、日本人に合わせているのだと思った。

  私は羊肉は平気だが、ツアーの参加者の中には「羊肉は・・・」と
言っていた方もおられた。

  だが、羊肉はクセがなく美味しかった。
  そのため「羊肉は・・・」と言っていた方も「おいしい」と言っていた。


  北京では羊肉は普通に食べられる。
  ガイドさんの話では、モンゴル族の影響と言われる。

  だが中国には、モンゴル以外にも、回族をはじめウイグル族などの
回教徒(イスラム教徒)がいるため、羊を盛んに食べる。

  改めて多民族国家・中国である事を感じた。

本当は日本も多民族国家なのだが
日本は単一民族国家と言われるが、歴史を見たら大嘘だ。
石器時代からシベリアの北方系、朝鮮半島、モンゴル、中国、
東南アジアからやってきた民族の混血が日本人なのだ。

それに、中国と関連づけると、徐福伝説がある。
徐福とは始皇帝をダマして日本に移住(亡命)した人物だ。
それ以外にも、中国や朝鮮半島から沢山の人が日本に移住したりしたので
単一民族というのは、おかしな話なのだ。
正確には「均一化した混血民族」なのだ。


いよいよ空港へ向かう。北京との別れの時だ。 北京空港ターミナルで帰りの飛行機を待つ。 時間潰しのため、スターバックスに入る。 店の女の子に Just a moment , please . と言われたので、私は 我等、我等 私待つわ、いつまでも待つわ♪ ← あみんか! と言うと、店の女の子は「中国語が上手」と言ってくれた。 おだてられると、うれしくなる (^^)
北京空港にて
いよいよ帰国の途につく。
まだまだ北京にいたかっただけに名残惜しい。

  飛行機の中。
  日本人スチュワーデスは1人だが「コーヒー頂戴」ぐらいは問題なく言える。
  なので、全く苦にならない。片言の中国語を使うせいか、
スチュワーデスには中国人に間違えられる。

関空にて
あっという間の北京旅行だった。
関空に着いた瞬間、現実に戻った感じだ。

  気温はマイナスではないが、日本も寒いと思った。
  あっという間の北京旅行だった。

旅の後、日中友好を考える 2005年、中国各地で反日デモが行われた。 裏では中国政府がいるため、官製デモとも言われている。 その結果、日本では嫌中派が増えたと言われる。 なので、友人・知人に「中国は恐くない?」という人もいる。 中国に短期留学した人の話では、戦争の事について聞かれたりして 反日の雰囲気を感じたという。 だが、私は、2007年1月の上海、7月の大連、今回の北京を通じて感じたのは、 反日だから恐いという心配は全くないと言える。 日本文化に親しんでいるのだ。 例えば、中国の40才以下の世代は、日本のアニメを見て育っている。 ドラえもんは中国でも有名だ。中国語で「ドラえもん」は 器机猫 なのだ。まさに「機器猫」だ。(「机」は「機」の簡体字です) 日本車、日本の電化製品。日本製品に親しんでいる。 その一方で、意外と中国人は日本の事を知らないのだ。 どれくらい日本の事を知らないのか。 日本人が漢字を読める事を知らない人が多いのだ! 2007年7月、大連旅行した時だった。 店に入って商品の説明を見ていると、店の人が近づいて声をかけてくる。 でも、中国語が話せないので「私、日本人。中国語は話せない」と言って 説明書きを読んでいる。そんな私の姿を店の人は不思議そうに見ていた。 中には片言の英語で「何か探しているのですか」と聞いてくる人までいた。 この事は、大連だけでなく上海でも体験した。 私としては奇妙に思えた。でも、その謎は解けた。 それは、ある食堂でウエイトレスの女の子と筆談した時だった。 私が日本人である事を言ったにも関わらず と紙に書いてきたのだ。 この時、私は えっ、マジかよ・・・ と思い、正直な所、驚いた。 私は「日本人は、みんな中国の字は読めるよ」と伝えた。 その女の子は「機会があれば日本へ行きたい」とも書いていた。 日本へ行ってみたいという人ですら、そんな認識なのだ。 でも、それが一般の中国人の、日本に対する認知度かもしれない。 その時の筆談の記録は、大事に保管している。 その後、中国留学経験者や中国滞在経験者に話を聞くと 日本人が漢字が読める事を知らない中国人は結構いる事を口にしていた。 ところで中国の歴史教育について興味深い本を読んだ。 「日本は中国で どう教えられているのか」(西村克仁:平凡社)に 中国の中高生が感じている興味深い記述がある。 「今の日本は好きだが、過去の日本は許せない」 つまり過去と分離して考えているのだ。 反日教育が徹底している高校の生徒なのだが、過去と現在を分離させた 現実的な視点で物事を考えているのだ。 まして、中卒が当り前の中国では、反日教育うんぬん以前の話だ。 そう考えると、反日デモがあっても、ごく一部の中国人が行っている事で 別に危険でも何でもない。 日本人は、反日デモだけでなく、尖閣諸島の問題や、内政干渉問題などで 「今の中国は許せない」になっている。 もちろん、私も中国政府や共産党は「悪の枢軸」だと思っている。 だが、私は中国人を悪者にする気は毛頭にないし、私だけではなく 大半の日本人は、個々の中国人を悪者にする気はないのだ。 なので、お互いの国民が政治とは別に、個人レベルで仲良くすれば 良いと思うし、それが日中友好だと思う。
編集後記 二泊三日の北京旅行。 初日、飛行機が欠航で、他の便に振り替えになったり、 北京空港で置き去りになるハプニングがあったものの、 色々な発見や出会いがあり、楽しめました。 万里の長城、明の十三陵などは交通の便の問題から、ツアーに参加した方が 便利だと思いました。 挨拶に産毛が生えた程度の中国語。 でも、現地の人と多少の触れ合いができたため、楽しさも倍増でした。 隣の国だが、知らない事が多い中国。 それだけに、また中国へは行ってみたいと思いました。 まぁ、相変わらず中国政府や共産党は嫌いなので、今後もボロカスに書くのは 変わらないけど (^^) 北京は国際都市に思えた。 単に私が現代版のマルコポーロと出会っただけでなく、関西では見かけない ロシア人を見かけたり、インド人も見た。 中華の雰囲気の中に色々な国の人がいる様子は、全く違和感を感じない 不思議な空間だ。それが国際都市なのかもしれない。 中国語がもっとできたら、もっと楽しい旅になったかなぁと思った。 おまけに書くと、ロシア語ができたら、ロシア美人に声をかけれたのにと 思ったりしました。まぁ、相手にされないけど (^^;;

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